八丁堀のまち、歴史

江戸時代初期、この地に開削された割堀の長さが八町(約873m ※1町=60間=109m )あったことから、その周辺を「八町堀」と呼ぶようになり、その堀名に由来して「八丁堀」という町名になりました。(町の字は、後に略字の「丁」となります。)堀を境に北側の地域一帯を本八丁堀(北八丁堀)、南側の河岸地一帯を南八丁堀と称し、広範囲にわたっていました。

この人物は、寛政6年(1794年)に歌舞伎で上演された芝居「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたずな)」の登場人物、盗賊の江戸兵衛を描いた浮世絵、『三世大谷鬼次の奴江戸兵衛』です。